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  • 2021年10月18日

【軽井沢の歴史】『軽井沢・避暑地』のサロン文化とスポーツ VOL.2

リゾート・別荘

 

※全3回完結記事になります。

VOL.1はこちら

VOL.3はこちら(近日公開)

 

【CONTENS POINT】

●西欧文化とともに勃興した別荘地

●青空の下でのサロン文化

●軽井沢6つのエリア特性(近日公開)

紳士・淑女のスポーツが根づく、もうひとつの軽井沢

視点を変え、もう一つの潮流として軽井沢別荘の歴史に脈打つのが、テニスやゴルフ、乗馬など、当時いわゆる『欧米の上流階級の紳士たちのスポーツ』といわれたスポーツの存在です。

 

夏でもプレイしやすい清涼な気候はもちろんのこと、浅間山から噴出した火山灰に覆われた軽井沢一帯は、雨が降ってもすぐに地下に浸透するため、プレイを再開しやすいという地質上の特性をもつといいます。こうしたスポーツに適した土地柄もあって、軽井沢にはすがすがしい汗をかく健康的な空気が流れます。

浅間山

今も語り継がれる軽井沢の歴史、「テニスコートのロマンス」

避暑地・軽井沢のスポーツとして、切っても切り離せないのがテニスです。

 

1957年8月、上皇と上皇后のテニスコートのロマンスを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。軽井沢と皇室とのかかわりは、1878年(明治11年)、明治天皇北陸東海御巡幸の行在所からといわれます。避暑地としての滞在や、三笠宮などの皇室の別荘建築、そしてテニスコートのロマンスからのご成婚後も、『避暑地』軽井沢として深い縁がつむがれています。

 

出会いの場となった「軽井沢会テニスコート」は、旧軽井沢銀座の東側に位置し、明治時代から続く会員制のコートです。クラブハウスは軽井沢に多くの建築物を残した建築家W・M・ヴォーリズによる増築設計で、今も当時を思わせる趣があります。

昭和32年(1957年)8月19日、軽井沢のテニストーナメントで上皇と上皇后が出会った 軽井沢会テニスコート

ちなみに1880年アメリカ合衆国生まれのW・M・ヴォーリズは、明治38年(1905年)来日し、以降毎夏を軽井沢で過ごしたといいます。日本で軽井沢ユニオン教会、明治学院チャペル、各地の邸宅等、数多くの西洋建築を手掛けた建築家であり、社会事業家、信徒伝統者。ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者のひとりとしてメンソレータム(現ロート製薬の製品)を普及させた実業家としても広く知られています。

「軽井沢ユニオン教会」

また、日本における初めてのテニスの導入は、明治11年(1878年)横浜からといわれますが、軽井沢では、明治27年(1894年)頃、旧軽井沢の「つるや旅館」裏の別荘の庭前にテニスコートが造られたのがはじまりといわれています。大正6年(1917年)には、現存の日本のトーナメントで最古といわれる「第1回軽井沢トーナメント」が開催されており、2016年には100年目を迎えました。軽井沢にはテニスコート付きの施設も多く見られ、2020年時点長野県のテニスコート数は全国1位といわれています。

「つるや旅館」

芝の上のサロン文化、名門ゴルフコースの発祥の地

次に、名門ゴルフ場の存在も軽井沢別荘文化をかたちづくる一つです。

旧軽井沢エリアの例でもわかるように、別荘地の発展もゴルフ場を軸に広がっています。

 

長野県最古といわれている「旧軽井沢ゴルフ倶楽部」は、大正8年(1919年)に、野澤源次郎が約6万坪の土地を提供し、スコットランド・セントアンドルース生まれの英国人ゴルファー、トム・ニコルを招いて造られたといいます。当時の会長は徳川慶久。神戸ゴルフクラブに次いで日本で4番目に古いゴルフ場といわれる日本を代表する名門コースです。現在会員は580名ほどといわれ、会員同伴か紹介状がないとプレイできません。

 

「旧軽井沢ゴルフ倶楽部」「軽井沢ゴルフ倶楽部」

また、当時、東洋一といわれた「軽井沢ゴルフ倶楽部」は白洲次郎も愛した同じく名門リゾートコース。旧軽に対して新軽とも呼ばれています。

 

白洲次郎は戦後、吉田茂首相に請われて現代の日本の原型をつくった人として知られ、映画や文学作品などでも幅広く取り上げられています。軽井沢ゴルフ倶楽部の理事になったのは50歳のときだったといいます。クラブの方針の一義に掲げたのが「PLAY FAST」。自らこのコピーのTシャツを愛用しコースを回ったという逸話もあるように、当時から旧貴族・家族・政財界・文化人が会員という名門ゴルフ倶楽部ですが、そこには自由で開放的な精神があったともいわれます。正会員、準会員をあわせて500人以下といわれ、旧軽井沢ゴルフ倶楽部同様に、同伴か紹介でのプレイになります。

 

「晴山ゴルフ場」「大浅間ゴルフクラブ」

このほか「晴山ゴルフ場」」昭和36年(1961年)、「大浅間ゴルフ倶楽部」昭和38年(1963年)といった伝統ある名門が続々と造られ、昭和51年(1976年)には軽井沢のゴルフ場は、147ホールに達して、軽井沢は全国有数のゴルフ場王国になっていきました。今も浅間山などの美しい景色のもと、多くのゴルファーたちが洗練された先人たちの礎に襟を正し、避暑地のゴルフを愉しんでいるといいます。

文責:Exceptional Life 編集部

 

 

※全3回完結記事になります。

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参照元:

長野県軽井沢町公式サイト

軽井沢観光協会公式サイト

軽井沢テニス協会公式サイト

大浅間ゴルフクラブ

 

 

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