- Area Market / 長野 / 軽井沢
- 2021年10月18日
【軽井沢の歴史】『軽井沢・避暑地』のサロン文化とスポーツ VOL.2
リゾート・別荘
※全3回完結記事になります。
VOL.1はこちら
VOL.3はこちら(近日公開)
【CONTENS POINT】
●西欧文化とともに勃興した別荘地
●青空の下でのサロン文化
●軽井沢6つのエリア特性(近日公開)
ちなみに1880年アメリカ合衆国生まれのW・M・ヴォーリズは、明治38年(1905年)来日し、以降毎夏を軽井沢で過ごしたといいます。日本で軽井沢ユニオン教会、明治学院チャペル、各地の邸宅等、数多くの西洋建築を手掛けた建築家であり、社会事業家、信徒伝統者。ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者のひとりとしてメンソレータム(現ロート製薬の製品)を普及させた実業家としても広く知られています。
また、日本における初めてのテニスの導入は、明治11年(1878年)横浜からといわれますが、軽井沢では、明治27年(1894年)頃、旧軽井沢の「つるや旅館」裏の別荘の庭前にテニスコートが造られたのがはじまりといわれています。大正6年(1917年)には、現存の日本のトーナメントで最古といわれる「第1回軽井沢トーナメント」が開催されており、2016年には100年目を迎えました。軽井沢にはテニスコート付きの施設も多く見られ、2020年時点長野県のテニスコート数は全国1位といわれています。
このほか「晴山ゴルフ場」」昭和36年(1961年)、「大浅間ゴルフ倶楽部」昭和38年(1963年)といった伝統ある名門が続々と造られ、昭和51年(1976年)には軽井沢のゴルフ場は、147ホールに達して、軽井沢は全国有数のゴルフ場王国になっていきました。今も浅間山などの美しい景色のもと、多くのゴルファーたちが洗練された先人たちの礎に襟を正し、避暑地のゴルフを愉しんでいるといいます。